備前屋の強盗

北川集落の東端、爪崎との境の土手根に接して西側、車道の南側に約20アールの1区画がある。ここが、昔備前屋と呼ばれた江尻家の屋敷あとと伝えられている。備前屋は寛文10年(1670年)岡山の池田藩が八島沖を干拓したとき、その功労により、この地を賜り、岡山からここに移り住んだ。この備前屋に、ある年の瀬に強盗が入り、めぼしい物を盗まれるという事件があった。その一部始終を隠れて見ていた下女は、賊の中に備前屋の番頭がいたと証言し、一味とともに番頭は首を吊って死んだという話が残っている。爪崎より野呂に通じる道の西側丘陵の中腹に、あたかも自分の領土を見下ろすかのように、江尻家の墓地がつくられている。

(参考)倉敷の民話・伝説:森脇正之、郷土風土記:宗澤節雄

 

北川東端、爪崎との境の土手根の西側、屋敷があった区画には民家が建っている。

写真の車道の右手(南側)に、江尻家3〜6番屋敷があった。

屋敷は写真の「ヤマサキショップふじわら」あたりまであったということだ。

江尻家の墓地。地元では「備前墓」と呼ばれ、今でもよく手入れされている。

玉島歴史民話伝説

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