高松城跡資料館の入口にある地蔵仏頭だ。天文年間末期の作と考えられている。昭和50年、高松城跡歴史公園の建設に伴って、本丸の南側、現在の蓮池の位置から、清水宗治を倒してその後に入城した花房正成築城の拡張工事遺跡が発見された。その遺構から発見された3つの文英石仏(他の2つは、宗治公民館駐車場の守庚申石仏と資料館の中にある延命石仏)の内の1つだ。花房の他教抑圧政策の犠牲となって、割られて捨石の1つとして投げ込まれたのである。このように文英石仏は、統治者交替による時代の変遷に伴い、地上から抹消される運命にあったのだ。 トップ 2 3
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