源平水島合戦古戦場

玉島湾と玉島大橋(源平大橋)

 

源平大橋54

源平大橋近影54

手前柏島と対岸の乙島の間にある合戦の海峡は今は橋で結ばれている。玉島大橋という橋で、源平大橋とも呼ばれている。源平の合戦は、海が強風で大荒れとなり、おまけに日蝕まで加わって、海戦に慣れた平家の大勝利に終わった。平家は日蝕を予知して戦いの日を決めたということだが、ここに安倍晴明の確立した天文学がからんでいたとしたら、何とも面白い話ではないか。結局、ここでの大勝利が平家を上洛の望みへと誘い、一の谷、屋島、壇ノ浦と一路滅亡への転機となったというから、この源平大橋の地こそ源平盛衰の歴史的な分岐点と言えるのではないか。考えてみれば、昨年この柏島、乙島地区は、大きな台風に襲われ、有史以来記憶にない甚大な高潮被害に見舞われた。下の写真の橋の右下の空き地には、災害で出たごみがしばらくの間山のように積まれていた。普段の姿からは全く想像もできない平穏な海も、時々歴史に残るような牙をむくことを忘れてはならない。戻る

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