頼仁親王御陵

 

頼仁親王御陵59

頼仁親王御陵57

岡山県倉敷市木見に冷泉宮頼仁親王の御陵がある。頼仁親王は、承久の乱(承久3年、1221年)で鎌倉の執権北条義時と争って破れ、隠岐へ流された後鳥羽上皇の第6皇子だ。この皇子も謀議に加わったとして、同年この地の五流尊瀧院に配流された。すでにこの地にいた第4皇子の桜井宮覚仁親王とともに、この地で寂しく余生を送ったということだ。御陵は宮中の管轄で、門にはちゃんと菊の御紋が取り付けられ、一般人は立ち入り禁止となっている。すぐ近くの五流尊龍院の敷地内には、覚仁親王の墓と追福の塔や灯籠、後鳥羽上皇の遺骨を納めた供養塔があり、親子3人この地で静かに眠っているというわけだ。こんな寂しい片田舎に、天皇家ゆかりの地があろうなどとは、全く知らなかったことで大変驚いた。

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