玉島の磨崖仏

玉島の磨崖仏は、柏島の円通寺と海徳寺の観音霊場の中にある。磨崖仏といえば、山の奥深いところの巨岩に彫られているものと思っていたから、玉島の身近なところにあると知ったときは大いに驚いた。磨崖仏はいずれも、江戸時代後期の嘉永(1850年ごろ)の頃作られたものと考えられている。円通寺の磨崖仏は、西国三十三観音霊場の中の如意輪観音で、32番繖山観音正寺の石仏が祀られている脇の大岩に彫られている。海徳寺の磨崖仏は、寺を中心に設けられている坂東・秩父観音霊場の中にあり、第18番〜20番と第22番が磨崖仏となっている。円通寺と海徳寺の観音霊場は合わせて「百観音霊場」と呼ばれ、今なお広く信仰されている。

(参考)岡山県の磨崖仏:小出公大

 

円通寺の磨崖仏。良寛さんが修行したのが、磨崖仏の作られる前の安永から寛政(17701790年代)の頃で、良寛さんはこの美しい如意輪観音を見てないことになる。

円通寺の磨崖仏の前には休憩所があるが、今は樹木が茂って鬱そうとした森の中のようで、眺望もあまりよくない。

海徳寺の磨崖仏は、寺の西側の西の岡と呼ばれる山中の高さ8m6mの巨岩面に彫られている。全部で4体あり、北面が18番・白道山神門寺の聖観音像と19番・飛淵山竜石寺の千手観音像、西面が20番・法王山岩上寺の聖観音像、東面が22番・華台山童子堂の聖観音像となっている。

海徳寺の磨崖仏がある場所からは、足元に玉島港、その先に源平水島合戦古戦場跡、乙島E地区、水島臨海工業地帯、さらには遠方に瀬戸内海の海や島々までを俯瞰でき、感動的なパノラマ景観を楽しむことができる。

玉島の歴史・民話・伝説

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