千年比丘尼

八島亀山での話。まだここが海だったころ、人魚を食べた娘が、お婆さんになっても老いもせず、死にもせず、知り合いもなくなって、比丘尼になった。100200年後比丘尼は、世に飽き故郷を離れて国巡りをするようになった。その後、この地の者が旅先の善光寺で比丘尼に会い、村に帰ってこの千年も生きている比丘尼の話をし、地元の人達が千年比丘尼と呼ぶようになった。北川の裏山に坊山という小さな丘陵があり、その北麓が比丘尼の庵跡といわれている。亀山には比丘尼が植えたといわれるビャクシンの古樹があって、玉島の天然記念物に指定されていたが、梨の病菌の宿木になるということで惜しくも切り倒されてしまった。

(参考)郷土風土記:宗澤節雄、倉敷の民話・伝説:森脇正之、ザ玉島:ホームページ

 

亀山の港(甕の泊)があったあたりの集落。左前方の小山は神前神社。

亀山のビャクシンの木が生えていた場所。

北川の坊山を南から見たところ。今は山全体に桃が植えられて、春に満開になると美しい桃山となる。すぐ北側を山陽自動車道が走っている。

坊山の北麓。このあたりに庵があったと思われるが、今はどこか分からない。

玉島歴史民話伝説

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