玉島臨港鉄道

玉島臨港鉄道は、玉島駅(新倉敷駅)から乙島の臨海工業地帯までの6.1kmの構想。将来工業地帯へ企業を誘致するために必要とされ、昭和36年建設工事が着工された。しかし、用地の買収がスムースにいかず、国道2号線と交差する付近では、地盤沈下が起こり工事が難航し、経費もかさむこととなった。その後、自動車が普及し、臨海工業地帯への企業の誘致も難しくなり、鉄道建設の意義は薄れ、採算性も考慮して、昭和51年に工事は中止された。工事は、玉島駅から約1.9kmの地点まで鉄道軌道を敷設したが、未成線として残され、現在に至る。

(参考)日本ボーイスカウト岡山連盟倉敷第14-玉島臨港鉄道:ホームページ、上田地方鉄道&昭和40年代の鉄道写真:ホームページ

 

玉島駅南西部、セントインホテルの北側あたり。現在は新興住宅地となり面影はない。

仮股川橋梁を南から見た。中央のセントインホテルは鉄道跡地に建てられている。

丸川橋梁を南から見た。鉄道は溜川(左)と産業道路(右)に挟まれて南北に走る。

国道2号線と交差する部分はオーバークロスになり、現在は橋台を生かして道路がつくられている。

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