亀山焼 かつて亀山神前神社周辺は甕(かめ)を中心とした焼物(亀山焼)の産地で、今も窯跡が残っており、神社裏の畑からは甕の破片が出土する。山陽自動車道の工事の際、発掘調査があり、大量の窯や亀山焼が発見されたが、架橋直下で遺跡の保存はできなかった。亀山焼が盛んだった頃、神社周辺は海で、亀山は甕(もたい)の泊といわれる港で、作った焼物を諸方にさかんに積み出していた。甕の泊は、平安時代の貴族文化華やかな頃最も繁栄し、亀山焼も室町時代になって、中国から渡来した釉薬を使用した焼物の普及と共に衰えた。亀山の亀は、甕の借字といわれる。 (参考)玉島風土記:森脇正之、郷土風土記:宗澤節雄、ザ玉島:ホームページ 神前神社第一鳥居の西側に亀山焼窯跡を示す標柱がある。神社を中心とした一帯が亀山焼のメッカであったことを示す。 神前神社本殿の東側斜面に窯跡の標柱があり、この一帯が窯跡である。 神社北の山陽自動車道の直下から多数の窯遺跡が出たが、コース変更が出来なかったため、すべて壊され消滅した。 玉島歴史民族海洋資料館に保存されている亀山焼。神前神社には、破損のない完全な形の甕が保存されている。 |