亀崎城址

亀崎城は柏島小学校の北の明神山の頂上にあった。南北朝時代(1330年頃)以後何度か城主が入れ替わり、戦国(1550年頃)に吉田弾正が城主となった。当時このあたりは海で、対岸の要害山の砦とともに、海からの進入に備えていた。弾正は関が原の戦いで破れ、刀を捨て、このあたりの地主となった。元禄元年(1688年)吉田伝蔵は、人々の幸せを祈り、城跡に亀崎大明神を祀った。昭和45年社殿が倒壊したが、平成6年再建された。山の西の麓の石垣をめぐらした畑のあたりが吉田氏の館跡で、北側に墓地がある。

(参考)玉島風土記:森脇正之

 

明神山の頂上が亀崎城址で、そこに亀崎大明神が祀られている。近所の女性の話では、嫁に来てから最近まで岩がごろごろした山だったが、このまま放置してはいけないということで、地元の人が参道に階段をつけ祠を再建したということだ。

明神山を南の登り口から見たところ。標高80mほどの小高い丘で、写真右側に細い登り道があり、左端には畑が見える。

山の北側には、吉田家の墓がある。民家のすぐそばの狭い一角だが、よく管理されている。吉田一族を祀る供養塔や鎧をつけた侍の姿を彫った墓もあり、つわものどもの歴史が感じられる。

明神山の南の集落。城があった頃、このあたりは浅瀬の海で、100mを隔てて柏島があり、潮が引くと陸続きとなり、武士たちは海徳寺まで馬で稽古に行ったということだ。

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