君が岩

伊東長実は、関が原の合戦後、徳川家康より、備中国岡田村(真備町岡田)を賜り、河内(大阪)から移住することになった。1616年伊東長実は、亀山港に到着したが、この村には馬も駕籠もなく、岡田までは歩いて行くしかなかった。しかし、迎えに出た服部村の与左衛門は、殿様を歩かせる訳にはいかないと、自分の背中に背負って運んだ。一行は大名行列のように、亀山の西光坊坂を登り、峠を越えて進み、途中陶村の服部の村境に位置する大岩の上で休憩した。この岩が君が岩である。

(参考)倉敷の民話・伝説:森脇正之、ザ玉島:ホームページ

 

玉島陶から山陽道箭田へ向かう街道。この先に君が岩がある。

君が岩には記念碑がたてられている。

旧道が新しい道路に合流する(寸断される)ところに君が岩がある。

君が岩の少し東側から南の亀山方向を見たところ。右側の山裾が亀山から山陽道の真備へ至る街道だった。

玉島歴史民話伝説

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