お玉さん伝説

阿賀崎新田の開発が始まったのが寛文10年(1670年)。柏島と乙島の間に長さ400m50mの巨大堤防(後の新町通り)を築いたが、海水や悪水を送り出すための水門を設置する必要があった。しかし、海峡が狭く潮流がきわめて急であったため、工事は失敗を繰り返した。村の人々は、原因を海神様のたたりと考え、誰か身を犠牲にして怒りをなだめる者ないか探した。この人々の祈りと願いを一身ににない、自ら進んで名乗り出たのが、18歳の若く美しい娘お玉さんであった。阿弥陀水門に深く沈められたお玉さんのおかげで、難工事は完成でき、人々はその死を悲しみ冥福を祈り、供養塔をつくり今も大切に守っている。一方で別の説がある。暴風雨の中もって神に祈るお玉さんは、勇気ある少女として死なせてはならぬと、人見御供寸前で助けられ、その後天候が回復し工事も成功し、人々は涙を流して感謝したというもの。

(参考)倉敷の民話・伝説:森脇正之、備中玉島湊開港350年:三善秀清

 

お玉さんの供養塔。お参りする人が絶えず、感謝の心をこめて大切に祀られている。

昭和橋の東端に供養塔はある。

阿弥陀水門があったと思われる新町通り東端。今は道路となり形跡ははっきりしない。

阿賀崎新田は玉島の心臓部。今の玉島があるのは、お玉さんのおかげ。

玉島の歴史・民話・伝説

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