寒田瓦窯址 窯は陶を東西に走る農道の南手の山の斜面につくられており、この傾斜地に集中する3基の一つ。長さ8.5m中央部幅1.8mの登り窯、天井はトンネル状、床面は階段状で奥の方に高くなっているということだが、このときは暗くて見えなかった。構造がほとんど完全な形で残っているのはきわめて稀。ここで瓦が焼かれたのは飛鳥時代(7世紀)から平安時代(9世紀)で、まだ庶民の家屋には瓦は使用されておらず、おそらく各地の寺院や役所関係の建物に使用されたものと思われる。この窯跡から陶の集落が見えるが、ここらあたりまで海が入り込み、近くの港から焼いた瓦が積み出されたものと推測され、昔の繁栄ぶりを思い浮かべると、感慨深い。 (参考)玉島風土記:森脇正之、郷土風土記:宗澤節雄 山の斜面につくられた窯。倉敷市指定の史跡となっている。 窯の奥を覗いてみたが、曇天で暗いせいもあって、よく見えなかった。 周囲は竹と木々の入り混じる雑木林で荒れており、窯を維持するには手入れが必要。 窯から陶の集落が見える。近くに港があって各地に瓦が積み出されたのであろう。 |