富田の桃

井頭清四郎(明治9年生まれ)の妻コマを通して、桃の苗木が井頭家に移植されたのが、富田の桃の始まり。コマの実家は旧小田郡北川村走出(現笠岡市走出)の船尾家で、父米三が走出に桃の栽培を導入した精農家であった。富田の桃は、井頭家の裏山の開墾地に第一世が根をおろした。気候風土の適地であったこの地は、優れた指導者もいて急速に良好な結果を得て、隣の大西家や難波家も栽培に着手し、一帯は一面桃園となって、富田の桃の発祥地となった。そして、その後その輪は全村から近隣の村にまで広がり、今日の隆盛を迎える。

(参考)郷土風土記:宗澤節雄

 

富田の桃の故郷である笠岡走出。大きな果樹園らしき所は見あたらなかったが、それでもパラパラと桃の畑があった。

北川の北の丘陵の南斜面。北川から亀山の丘陵の南斜面は日当たりもよく、一面すべてが桃園となっている。

桃の花が満開になると山全体がピンク色の花で覆われ、あたかも桃山のようになりとても美しい。毎年、近所ばかりでなく、遠く岡山のあたりからも、大勢の見物人や写真家などが訪れる。

富田の桃は甘みが強く、とてもおいしいと評判が良い。清水白桃といったブランド品もできた。

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