五流尊瀧院
五流尊瀧院は熊野神社に隣接して、岡山県倉敷市林にある。天台密教系の修験道の総本山である。山伏修行の寺だ。修験道は、1300年余り前の飛鳥時代、役小角が開いた宗教であるが、699年その役小角は、民衆を惑わすということで、伊豆大島へ流された。5人の弟子の義学・義玄・義真・芳元・寿元は、難を避けるため、701年紀州熊野の神体をこの児島に奉斉し、新熊野三山を開いた。児島五流として、尊瀧院、太法院、建徳院、報徳院、伝報院が建立され、盛時には35院も奉仕するほどであったが、南北朝から室町時代(14世紀ごろ)にかけて衰微し、現在では五流尊瀧院だけになっている。鎌倉時代には、承久年間、後鳥羽上皇の皇子覚仁親王が、新熊野検校に任じられ、この尊瀧院に居住した。その後、承久の乱の罪を問われ、同皇子頼仁皇子も、この地に流された。二人の皇子は、以後五流尊瀧院で生活し、院の中興を行ったとされている。写真中段は御庵室であるが、ここに頼仁親王の御影が安置されている。寺院より2キロほど南の倉敷市木見には御陵がある。写真下段は、頼仁親王の歌碑「この里にわれ幾年か過してむ乳木の煙朝夕にして」である。尊瀧院の大僧正は、代々頼仁親王の血脈を受け継ぎ、今日に至っている。トップ 2 3 |
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