高瀬通し

 

船だまり58

玉島港57

今の玉島港あたりだ。当時の港には、高瀬船と北前船が入り交い、元禄年間(16881703年)には問屋街も完成して、玉島の町は繁栄の絶頂を迎えた。荷を下す船溜まりは、羽黒山東側の約10アールの水域だった。今は道路と民家・駐車場などになっている(写真上)。大正14年に伯備線が開通して高瀬船の運航は終わった。画期的な高瀬通しも、船が通ることがなくなった今、ただの灌漑用の用水路として機能しているだけである。トップ 2 3

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