吉備の国の城跡

森本松山城(柏島)

亀崎城(阿賀崎)

要害山城(道越)

梁場山城(柳井原)

鬼ノ城(総社)

笠岡城(笠岡)

笠岡山城(笠岡竜王山)

鳶尾城古城跡

鴨山城(鴨方)

下津井城(下津井)

下津井古城(下津井)

青江城(酒津)

片島城(片島)

鷹之巣城(矢部・日差山)

伊予部山城(真備・辻田)

本太城(塩生)

南山城【明知山城】(真備)

松島城(松島)

日幡城(日畑)

楯築城(矢部)

万寿城(中庄)

倉敷城(倉敷本町)

陶山城(陶)

早佐山城(長尾)

渡里城(乙島)

八幡山城【流山城】(酒津)

中大道城(中島)

畑山城(柏島)

小山崎城(柏島)

猿掛城(真備)

下津井釜島城(下津井)

下津井松島城(下津井)

鳥ヶ獄城(真備町尾崎石田)

鼻高山城(串田)

馬入堂山城(新本)

黒山城(浦田)

西之浦西山城(西之浦)

平松城(下庄)

上河原城(中島)

戸山城(木見)

岡山城(岡山)

ゆずりは城(新見)

鶴首城(成羽町)

金川城(御津金川)

徳倉城(御津河内)

備中松山城(高梁市)

大松山城(高梁)

常山城(灘崎町)

備前福岡城(長船町福岡)

周匝すさい茶臼山城(赤磐周匝)

幸山城(総社)

矢掛茶臼山城(矢掛)

備中福山城(総社)

下津井古城(下津井)

下津井城(下津井)

備中高松城(岡山市高松)

高越山城(井原)

神戸こうど山城(矢掛町)

三石城(三石)

天神山城(和気町)

工ヶ城(井原)

大渡城(総社市美袋)

乙子おとご城(岡山乙子)

沼城(岡山市沼)

八浜城(玉野市八浜)

明善寺城(岡山市沢田)

市場古城(総社市新本)

本太城(児島本荘)

小笹丸城(美星町)

金黒山城(美星町星田)

賀陽丸山城(吉備中央町)

高原城(井原)

白石城(建部町)

正霊しょうりょう山城(芳井)

砥石城(邑久町豊原)

撫川城(撫川)

冠山城(足守)

私たちのこの故郷には、ひと昔前には山や平地にたくさんの城が築かれていました。備中で245、備前で235、現在の倉敷市内だけでも103もの城がありました。自分の自宅や散歩道から山が見えれば、その中のひとつやふたつには城があったと言っても、言い過ぎではありません。そうした城が、私たちが快適さを求めて山を下り平野部に住むようになって、忘れ去られてしまっています。

このふるさとでは、古くには源平合戦があり、室町時代には福山合戦、戦国時代に入ると猿掛合戦や備中兵乱、戦国末期には本太城の戦いや高松の役(高松城水攻め)がありました。ここは東西南北から入ってくる諸勢力がぶつかり合う天下分け目の戦いの行われた激戦地であったのです。そのため要所/\の山や平地にたくさんの戦略的な城が築かれました。一所懸命という言葉があるように、当時土地ほど大切なものはありませんでした。城を取ることはその領地を手に入れることで、これほど命を懸ける大切な重要なことはなかったのです。

中世までの古城は、秀吉の天下統一以後広まったような天守閣のある立派な近世の城ではありません。石垣をあまり使用せず、地面を削り土を盛り築城する土の城です。しかし、その大半は近世初頭(江戸時代初め)の徳川家康の一国一城令で廃城になりました。そのため、城跡は掘が埋まり土塁が崩れるなど、人の手や自然の力によって元の姿は失われ、今ではただの山や畑にしか見えないことが多くなっています。

ここに掲載したのは、こうした今は姿のない城で、城があったと思われる痕跡を撮ったものです。国取りに命をかけて城を築いた領主たちの気持ちに思いを馳せながら、忘れ去られようとしている故郷の宝古城に向けてシャッターを切りました。

木下ピクニック41

 

左は訪れた城跡の一覧ですが、まだページを作れていません。今後少しずつ作成して載せていきたいと思っています。

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