吉備の国の文英様石仏
■高松平野〜文英様石仏の故郷〜 高松城跡 高松城跡周辺 宗治公民館:守庚申石仏 星友寺:文英石碑・妙見堂前石仏 妙立寺:永禄四年銘石仏 中島 関野家裏:天文三年銘石仏 関野家:文英座元石仏 大崎遍照寺 大崎廃寺跡 天文四年銘石仏 報恩禅寺 福崎地蔵堂前 持宝院 立田辻地蔵堂 ■足守・吉備高原 ■山陽盆地 高谷 常楽寺 祠横石仏 |
文英様石仏は、僧文英とその関係者たちにより彫られた、全国的に他に類をみない吉備独特の像容をもつ石仏である。誕生地である岡山県の高松地区を中心に、吉井川以西から高梁川以東、北は吉備高原の麓まで分布し、現在までに約150体が発見されている。造られた時期は、戦国時代真っ只中の、天文2年(1533年)から天正10年(1582年)の50年間だけである。庶民のために、庶民の苦しみや悲しみの願いを託しながら、造ったもので、民衆の心を表現したものとして、特別な存在である。線刻ないしは浅い浮き彫りで表現された像容は、稚拙で簡素なものであるが、返って素朴な民衆の心が良く表現されているように思う。 文英様石仏の高松平野の一部のものは、高松城落城後入城した花房正成の宗教弾圧を受け、城郭拡張工事の際、破砕され埋め立てに投入されるなど、不遇な運命をたどる。また、他の地域でも、畑や田、山の中などに忘れられ放置されたものもあった。しかし、こうした石仏も、昭和になって次々と発見され、今はお堂や墓地、普通の路地、中には民家の庭などに置かれている。今になって再び、民衆の生活の中で生き続けているのである。 文英様石仏は、現代にも通じるモダンな感性と高い芸術性を有し、別枠で好きな石仏である。磨崖仏と同様に特別にページを設けて、他の石仏と分けてここに掲載する。
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